カテゴリ: 内向的子供時代

大学四年生になると学校では相変わらず知り合い1人だった😨。

彼はバイト先で馴染めずアルバイトも辞めたため、あまりお金がなかった😱

必然的に僕は学食で一人で食事をすることも度々あった😅

ただバイト先ではかなり馴染むことができて、月に一度は近所のロイヤルホストへ6人皆でご飯を食べに行くようになってた☺️。

大学生活が楽しくなかった僕にとって、このバイト先は本当に楽しかったし、ずっと続けばいいのにとさえ思っていた😄。

1人の社員さんとも色々話して仲良くなり、個人的にご飯を食べに行ったりもした☺️。

僕と同じように気は弱いが、優しい人だった😊。

ただまあ僕との大きな違いは何となくほっておけない雰囲気があり、上司からは可愛がられるタイプと言うことだった😊。

両親とは折り合いが悪いというところも、20から反抗期に突入していた僕にとっては凄く共感を覚えたポイントだった😊。

この時に気づいたのだが、過干渉な親に育てられると、子供の人格形成に悪影響を与えるということだった😱。

この社員さんと僕に共通していたのが、相手に気を遣いすぎて人と仲良くなるのが下手ということだった😨

夏ごろ同期の女の子を誘って生まれて始めてデートというものをした☺️。

何の準備もせずにチェーン店でご飯食べるし、映画は見れないしぐだぐだだった😫。

最後に告白して見事に振られたが、友人が全然いなかった大学入学時に比べれば随分幸せな人生になってきたなあとも思う😅。

できるだけ長くバイトをしたい僕は卒業ギリギリまでアルバイトをいれていた😊。

そして、三月の最後大阪に行く前日にバイト先で僕の送別会を社員を含めた皆で盛大にやってくれた😊。

人生で一番幸せな誕生日だったと思う☺️(これが22年で一番というのも悲しいが😫)。

大阪に行く日の朝携帯を見ると後輩の女の子からメールが入っていた😊。

正直この頃は振られた同期の子には未練がなくなり、この子の事が好きだったので、何の用だろうと凄くテンションが上がった☺️。

聞けば駅まで見送りに行きたいと言う😄。

大喜びした僕は隣町の駅まで40分かけて歩いていった😃。

告白でもしてくれるのかなあと期待してたのだが、就職活動の愚痴を聞いて欲しかったみたいで、ミスドで一時間延々と就活の話を聞く羽目になった😅。

どうすれば女の子にモテるのだろう?それをよく考えていたと思う😅。

この頃には人間関係のコツらしきものをつかみかけていた☺️。

上手く人付き合いをしていくのに、話術が必要な訳ではない😲。

一方的に話すのでなく、むしろ相手の話を聞いてあげられる力こそ大切なのではないかと☺️。

こうして僕は自分の生き方のヒントみたいなものを見つけつつあった☺️。


大学三年生になった😌

元々それなりに勉強していたし、レベルも高くない大学なので高校時代より勉強が楽な位だった😅

ただ普段から寝不足なのに家事をしながら編入の為の勉強をしているというバイト先の女の子の影響を受け、特待生狙いにいった☺️

ただ、一年時の成績が普通なので、願いはかなわなかった😓。

まあ成績で判断される一次選考を通っても面接で落とされた可能性もあるが😅

三年生になっても友達が一人しかいない大学にはただ淡々と通っているだけだった😓。

一方でバイトに行くのは本当に楽しかった😃。

さらにGW後、同い年で一学年下の浪人生、1つ年下の女の子、2つ下の男の子が入ってきた😃。

この女の子がかなり気さくな子で話しやすかった☺️

他の皆も人が良かったので、バイト先はさらに楽しいものとなった😄。

なぜ学校では友人関係が上手く築けないのに、バイト先では上手くいくのだろう?😳

この時に始めて勉強だけでなく人間関係も頭を使えばもう少し上手くやれるのではないか?ということに思い至った😅。

○自分には大人数のコミュニティよりも少人数のコミュニティの方が向いている。
○僕が一番年上で皆がそれなりに気を遣ってくれているから居心地がいい(その事で傲慢になるつもりはなかったが)

という分析結果が出た😅。

20歳を迎えた自分は今の自分と上手く付き合いつつ、世の中を渡っていく方法を確立しなくてはいけないと思うようになる😳。

今の性格というのはもう変えることはできないだろうから😲

人と仲良くなるには二通りの方法があると思う☺️。

○自分から相手に話しかける
○相手から自分に話しかけてもらう

僕はあまり人から仲良くなろうと声をかけてもらうことがなかった😓。

大学でも一人でいる僕がほぼ声をかけられる事はなかった😨。

一度だけかけられたことはあったが、明らかに僕とはタイプの違う人だった😰。

恐らく、テスト前などにノートを借りる相手がいれば的な感じでかけてきたのだろう😫。

僕はわざわざ仲良くなりたいような雰囲気でなく、相手が声をかけてくる際は何らかの下心があることが多い😱

そういう人は当然ながら僕と性格が合わないことが多い、20年の人生で出した結論だ😨。

まあ今ならわかるが、声をかけてもらおうと思うと、ルックスがいいとか、お洒落とか何か秀でたものがないと普通はかけてもらえない😅

ならば自分から人に声をかけるしかない😅。

バイト先での成功体験が僕に自信を持たせていた☺️。

ただ既に人間関係の出来上がってる大学でそれをやると更に浮いてしまう恐れがあるので自重した😄。

もし仲良くなるのに失敗してもその後授業や学内で鉢合せする可能性があるからだ😱

どうせなら失敗しても関係のない後腐れのない人間関係の所でやってみたい☺️。

バイト先で新店舗オープンの応援に行く機会があった😄。

二人一組でのレジでの接客😄。

僕はお客さんが途切れた時間に一緒にレジをやってた初対面の女の子と途切れないよう雑談をすることができた😊。

僕より二歳年下のこの女の子のコミュニケーション力に救われた部分もあっただろうが、僕は自分で思っているほど口下手ではないのかもと更に自信をもつことができた😲

僕は複数人で人間関係を築くのは苦手だが、一対一ならそれなりに会話をすることができる☺️。

何とか世の中でもやっていけるのではないか?😊

就職活動を控えた僕の中に芽生えた大きな変化だった😲。


その同期の女の子は美人な だけでなく凄く愛想が良かった😃。

さぞかし明るい性格なのだろうと思ったらそうでもないらしく、『夏休みは暇で寂しかったからテレビに話しかけてた』とかネタにしてる子だった😳。

昔は太ってて引っ込み思案な性格だったというのも好感をもった☺️。

僕も同じように子供の頃は太ってて引っ込み思案な性格だったので😅。

僕は是非仲良くなりたかったのだが、他愛もない会話はするものの、それ以上仲良くなることができない😓。

表面上は誰にでも愛想がいいし、いい娘なのだが、たまにスイッチがオフになってることがあるのだ😵

今まで女の子と話す機会の少なかった僕はどう接したらいいか分からなかった😓

まあ彼女が出勤してる日はかなりうきうきでバイトに行っていたと思う😃。

1つ年下の先輩は、僕の行きたかった公立大学の学生だった☺️。

素直で真面目なバイトなので社員さんからも信頼されていたし、僕も凄く居心地が良かった☺️。

仕事の内容だけならスーパーの方が遣り甲斐があったのだが、環境面では断然こちらの方が楽しかった😃。

大学生活は完全に躓いてしまったのだが、このバイト先は本当に行って良かった場所だった😄。

今思えば、仕事のやりがいがある職場と、人間関係の良い職場を続けて経験することができたのだと思う☺️

この頃の自分はどちらが良いとかあまり考えたことはなかったが、職場外でも楽しみができたぶん、このバイト先の方が良かったと思う😃

僕は大集団の中では上手くやっていくことが出来ないが、同世代の少人数の集団なら上手くやっていける自信もこの時に持つことができた☺️


大学では友人が一人なので、一緒に受講する仲間もなく寂しい思いをすることもあったがだんだん慣れてきた😅。

て言うか一人で受講すると好きなときに抜けられるし、行動を制約されない😅

バイト先では大きな変化があった😃

ベテランの先輩が辞めることとなり、もう一人の先輩は頼りないし、遅刻が多いということで僕がバイトリーダーに指名されたのだ😃

あまり先輩と口を利くこともなかっただけに、
僕の生真面目さを評価していてくれたことは嬉しかった😄

売り場の管理も任されるようになりかなり楽しくアルバイトに出掛けていたと思う😃

また社員の入れ替わりが多発し、次に来た人とはうまが合わず、店長に訴えたりもした😫

ただその次の社員は僕を理解してフレンドリーに接してくれたので、凄く居心地が良かった😄

その人が転勤してからも店に遊びに行ったりもした☺️

レジのアルバイトの女の子も代替わりし、今度は一番下の妹の同級生が入ってきた😳

後輩を介して、その子らとも良く話すようになり、妹の友人と知ったときは驚いた😳

環境はバイトを始めた頃に比べるとかなり良くなった😄

ただ一時期からお店ではヤンキーによる万引きが多発するようになり、ストレスから十二指腸潰瘍になった😱。

その際医師からは一週間入院を薦められ、バイトも辞めるように言われかなりショックを受けた😱。

入院した四日間でお見舞いに来てくれたのは折り合いの良くなかった母だけだった😭。

今まで比較的素直な子だった僕は大学二年生にして反抗期に入っていたのだ😭。

相変わらず母に心配をかけて自分が情けなかった😭。

アルバイトに行けなくなって、アルバイト先が自分にとって掛替えのない場所になっていたことを思い知らされた😓

ただこの入院は僕の人生で大きなターニングポイントとなる☺️。

元々生活習慣を正すための入院でそこまで重症でもなかったので、二月ほどすると夜遅くに働くとかでなければアルバイトOKとの許可が出た😄。

時間帯が遅いので元のバイト先には戻れない😫。

710円と時給は安いが近所のホームセンターでバイトすることにした😃。

ここは凄く環境が良かった😄。

先ずは社員さんがアルバイトを『さん』『くん』づけで呼んでくれたのだ😄。

バイト先で呼び捨てにされることにより人格を否定されてるような不快感を感じていた僕にとってこの事は大きかった😄。

そして一歳年下の先輩も口数は多くないがいい人だった☺️。

そして何よりも同時期に一歳年下の美人な女の子が入ったのは大きかった😄。

妹以外に同年代の女の子と喋る機会というのがなかったので、同年代の女の子と話す機会が与えられたのは凄く大きかった😄。

大学二年になると仮面浪人を言い訳にすることもできずバイトをすることにした😅。

もう一つの理由は大学を辞めた彼が毎日家の前で、僕の帰りを待つようになっていたのだ😓。

彼にはもう一人共通の知人(大学を辞めたことを知らせてくれた子)がいたのだが、彼は社会人をやっていたし、会社の仲間と遊びに行くようになり疎遠になりつつあった😓

学校を辞めて居場所のない彼は仕方なく僕の所に来ていたのだろう😨

僕としてはたまにならいいが、毎日遊ぶというのはちょっとしんどいなあというのが本音だった😱。

アルバイトは大学帰りにあるスーパーの店員😄。

実はあわよくば友達や彼女ができればなあという期待もあった😅。

ただそこで働いていたのは、とてもそうはなれそうにない人ばかりだった😓。

同じ時間帯に入ってたのは同じ大学生で二歳ほど年上の無口な人😨。

専門学校生で無口な上に毎日遅刻しがちな一歳年上の人😫。

唯一の救いがいつも明るく気さくに話しかけてくれる、定年間近の契約社員のおじさんだった😃。

おじさんのいない日はバイト先で言葉を発するという事がほとんどなかった😅。

一度叔父さんがいない日三人でシフトに入ると聞いた言葉が、最後施錠したときに流れる機械が喋る『お疲れ様でした』という言葉だけだったときもあった😓。

後社員に大学の先輩がいたのだが、露骨に先輩風を吹かせて来るので、結構嫌だった覚えがある😨。

レジにはアルバイトの女の子がいたのだが、言いたいことをはっきり言う僕とは絶対相容れないタイプだった😨。

なので勿論普段会話をすることは全くなかった😨。

後に彼女ら二人のうち一人を妹の卒業アルバムで見た時は驚いた😱

大人びていてどうみても歳上だと思っていたからだ😅。

学校を辞めた彼はその後も頻繁に自宅前で僕の帰りを待つこともあったようだが、僕の帰宅がバイトの終わる23:00以降となると段々来なくなっていった😅

大学では僕と同じように一人でいる人に声をかけて、何とか一人友人を作ることができた😄。

一方学外では大学を辞めた子と遊びに行った際、ちょっかいをかけてきたヤンキーに彼が文句を言って僕が殴られた事があった😫。

彼は一目散に逃げ出したのを見て、自分はその程度の存在なのだなと悲しくなった😨。

それを機に更に彼とは疎遠になっていったと思う😅。

それとは逆に、前に連絡を取った専門学校を辞めた彼とは彼の友人を交え、定期的に遊びに行くようになった😃

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