大阪にやって来た僕は就職したスーパーの寮に入ることになる😌。

上手くやっていけるか不安はあったのだが、同期がいい人ばかりだったので何とかやっていくことができた☺️。

ただ研修で居眠りしてしまい、帰らされそうになったときは、ここで解雇されるのではと本気で焦った😓。

レジの接客研修でも緊張感がないと担当の女性に目をつけられた😰。

『お葬式の最中でもつい笑ってしまう』と蛭子能収さんが仰っていたが、僕も生来onとoffの切換が下手くそなのだと思う😓。

生真面目な性格なのに、けじめをつける場所でしっかりできない😓。

普段不真面目でもしっかりと切換のできる人が凄く羨ましかった😓。

研修期間中というのはある意味学校みたいなものだった😱。

アルバイト時代の経験が生きて、自分から声をかけたことで、何人かと友達とはいかなくても知り合いになることができた😅。

就職活動時の経験が生き、女の子ともそれなりに普通に会話していたと思う😅。

学生時代みたく、いくつかのグループができて、皆がそれぞれどこかに属していた😨。

僕もそのうちの一つに属しているような状況だった😓

そして人生において集団生活を強制されたのはここまでだった☺️。

幼稚園以降ずっと強要されてきた集団生活、そこからやっと解放されたのだ☺️。

この時の新入社員研修以降、人生において集団生活を強要されたことはない😄

僕らの世代はバブル崩壊後の就職氷河期だった😫。

後にロストジェネレーションと呼ばれることになる世代だ😨

明らかに人より能力の劣る僕が就職できるのか?😓

僕は不安から周りがまだ全く活動していない三年の秋から就活に向けて準備を始めた😨。

図書館にあった本でやった適職診断の結果は『図書館司書』、内向型人間にとっては適職らしい😄

ただこの仕事、ほとんど求人がない😱。

恐らくコネがなければこの仕事につくことはできないだろう😓

親は自分と同じく安定した公務員になることを希望していたが、アルバイトで実際やってみてやりがいのなさに僕の選択肢からは消えてしまった😨

僕はバイトで仕事内容が気に入っていた、スーパーの店員を目指すこととする😄。

幸いにも、この業界は普通に求人があった😄。

というよりも離職率が高いため、不況でも普通に求人があったのだ😅

後に知ったのだが、他業種では採用自体を取り止めているところも結構あったらしい☺️。

先ずは本屋に行って面接の達人という就活本を八冊ほど買い漁った😊。

この本は多くの人の面接体験が二こま漫画などと共に描かれており大変参考になった😄。

友人や先輩と言うネットワークがない分、ネットがまだそれほど普及していない時代、僕の情報源は本しかなかったといってもいい😓

できれば、地元のスーパーが一番だがそこだけ受けるわけにも行かないので、大阪方面のスーパーをたくさん受けた😅。

生来あがり症の為、就職面接は凄く緊張する😱。

早くから面接をやってくれるところは片っ端から受けまくった😊。

そしてどんどん落とされたし、この規模のとこなら余裕でとってくれるかもと言うところにも余裕で落とされた😱

ただ、案外落ち込まなくてすんだのは、毎日のようにアルバイトを入れていたからだった😃。

面接で失敗しても、バイトに没頭してるとその事を考えずにすんだのだ😄。

後の人生でも活きるのだが、悩みや考え事があっても一生懸命働いていると気が紛れるのだ😳

後は訪問先の近所で、美味しいラーメンを食べること、同じ就活生に声をかけて仲良くなることをやっていた😃。

就職活動だけにならないよう(上手くいかないことだけやると気が滅入る)、他の楽しみを作るようにしたのだ😄

勿論声をかけても上手く行かないこともあったが、上手くいかなくてもまあ二度と会うことのない相手ばかりだしと思い割りきるようにした☺️。

そして運良く、一つのスーパーが僕に内定を出してくれた😊。

この事によってその後は凄くリラックスして面接を受けられるようになった😊。

他で二次面接を受けてると『最初とうって代わって余裕が出てきたなあ』と言われたし、他の人を見てて、緊張してるなあと客観視する余裕も出てきた😳。

一つの会社が自分を認めてくれたという事実が僕に大きな自信をもたらしてくれたのだ😃。

人生において自分を肯定してもらえると言う経験をあまり積んでこなかったぶん、凄く自信になったのだろう☺️

他社の内定を持っているという最高の状況で、本命の地元のスーパーの三次面接に進んだ😌。

ただそこでは人事部長からはそれなりの圧を感じた😰。

僕は地元のこのスーパーにどうしても入社したかったので、誰もやらないような81店舗全てを店舗見学するなど自分なりにできることを精一杯やった😄。

ただこの面接では全く手応えがなかった😓。

『友人は多いですか?』という質問に

『はい』という当たり障りのない答えしか返すことができなかった😱。

こういう質問をしてくる企業があることも知っていたが、友人のいない僕には対策のたてようがなかったのだ😓。

経験豊富な人事の人間からすれば、自分の殻にこもりがちな独りよがりな人間と言う本質を見抜かれていたのだと思う😰。

今思えば、正直に『親友と呼べるほどの人はいません』と答えるべきだったのかもしれない😅。

こうして僕は本命の地元のスーパーに落ちた為、寮のある大阪のスーパーに就職することになった😌。



大学四年生になると学校では相変わらず知り合い1人だった😨。

彼はバイト先で馴染めずアルバイトも辞めたため、あまりお金がなかった😱

必然的に僕は学食で一人で食事をすることも度々あった😅

ただバイト先ではかなり馴染むことができて、月に一度は近所のロイヤルホストへ6人皆でご飯を食べに行くようになってた☺️。

大学生活が楽しくなかった僕にとって、このバイト先は本当に楽しかったし、ずっと続けばいいのにとさえ思っていた😄。

1人の社員さんとも色々話して仲良くなり、個人的にご飯を食べに行ったりもした☺️。

僕と同じように気は弱いが、優しい人だった😊。

ただまあ僕との大きな違いは何となくほっておけない雰囲気があり、上司からは可愛がられるタイプと言うことだった😊。

両親とは折り合いが悪いというところも、20から反抗期に突入していた僕にとっては凄く共感を覚えたポイントだった😊。

この時に気づいたのだが、過干渉な親に育てられると、子供の人格形成に悪影響を与えるということだった😱。

この社員さんと僕に共通していたのが、相手に気を遣いすぎて人と仲良くなるのが下手ということだった😨

夏ごろ同期の女の子を誘って生まれて始めてデートというものをした☺️。

何の準備もせずにチェーン店でご飯食べるし、映画は見れないしぐだぐだだった😫。

最後に告白して見事に振られたが、友人が全然いなかった大学入学時に比べれば随分幸せな人生になってきたなあとも思う😅。

できるだけ長くバイトをしたい僕は卒業ギリギリまでアルバイトをいれていた😊。

そして、三月の最後大阪に行く前日にバイト先で僕の送別会を社員を含めた皆で盛大にやってくれた😊。

人生で一番幸せな誕生日だったと思う☺️(これが22年で一番というのも悲しいが😫)。

大阪に行く日の朝携帯を見ると後輩の女の子からメールが入っていた😊。

正直この頃は振られた同期の子には未練がなくなり、この子の事が好きだったので、何の用だろうと凄くテンションが上がった☺️。

聞けば駅まで見送りに行きたいと言う😄。

大喜びした僕は隣町の駅まで40分かけて歩いていった😃。

告白でもしてくれるのかなあと期待してたのだが、就職活動の愚痴を聞いて欲しかったみたいで、ミスドで一時間延々と就活の話を聞く羽目になった😅。

どうすれば女の子にモテるのだろう?それをよく考えていたと思う😅。

この頃には人間関係のコツらしきものをつかみかけていた☺️。

上手く人付き合いをしていくのに、話術が必要な訳ではない😲。

一方的に話すのでなく、むしろ相手の話を聞いてあげられる力こそ大切なのではないかと☺️。

こうして僕は自分の生き方のヒントみたいなものを見つけつつあった☺️。


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